序章
加治屋自動車に入ると決めた時の気持ちを聞かれ、坂本浩則社長は少し笑ってからこう答えた。
「バンジージャンプしたことないけど、あのぐらいの気持ちやね」
大げさな表現ではなかった。
坂本にとって加治屋自動車は、もともと自分の家の会社ではない。
妻の父である先代社長、加治屋健一氏がつくり、育ててきた会社だった。
若い頃の坂本は、コンピューターの仕事に強いやりがいを感じていた。
会社の立ち上げにも関わり、若くして取締役という肩書きも持った。
人に教え、現場を見て、仕組みを組み立てる。その仕事は面白かった。
だから、加治屋自動車に入ったのは、自分の手応えがある場所から、まったく違う世界へ飛び込む決断だった。
しかもそこには、自分を強く引っ張る義父がいた。荒っぽく、厳しく、よく怒る。それでいて人情があり、人がついてくる。
坂本の人生において、加治屋健一という人の存在は避けて通れない。
加治屋自動車の物語は、会社の歴史だけでは語れない。
自らの得意分野から、未経験の異業種の会社に入った一人の人間が、先代の厳しさに揉まれながら、やがてその会社の名前を背負っていく物語でもある。

第一章紙テープ
坂本の最初の道は自動車整備ではなかった。高校卒業後に進んだのは、コンピューターの専門学校である。
明確な将来設計があったわけではない。家庭は裕福ではなかった。父は早く働くことを望み、母は「学校には行かせる」と譲らなかった。
坂本自身も、最初からコンピューターで生きていくと決めていたわけではない。調理の道を考えたこともある。
それでも数学や演算の世界には少し惹かれていた。頭の中で考えた手順どおりに何かが動く。その面白さがどこかに残っていた。
入った専門学校は厳しかった。学生扱いではない。
電車が遅れても、社会では遅延証明を提出すれば「社会に出てこんなもの通用すると思っているのか?」と一蹴された。
髪型一つにも、仕事へ向かう姿勢を問われる。
授業で触れるコンピューターも、今のように画面を見ながら直せるものではなかった。タイプライターで紙テープに穴を開けて機械に読み込ませる。わずかなずれで止まる。間違った箇所を切り取り、糊で貼り直し、課題提出の列に並ぶ。
うまくいかない理由が自分にあるのか、機械にあるのかさえ分からない。
「一年目は、ほんまにできなかったです。俺、世の中に出て通用するんかなって思ってました」
人生で一番劣等生だったと坂本は振り返る。
だが二年目あたりから、少しずつ見え方が変わっていく。紙テープに振り回されながらも、どう組み立てれば思った通りに動くのかを考えるようになった。
後に坂本を支えることになる力が、この時期に少しずつ形を持ちはじめる。
ロジックを組み立てる力。仕組みを作る力。そして、分からないまま放っておかない力である。
第二章画面の外
最初の就職は喫茶店での面接から始まった。学校の紹介で決まりかけていた会社を断り、友人の縁で別の会社に入ることになる。
先生からは「二度と学校を頼りにするな」と強く叱られたが、自身の直感を貫いた。
入社後、坂本はいきなり出向先の現場に置かれた。
最初は何をすればいいのかも分からない。
職場のロッカーに並んでいた分厚い本を開き、仕事を動かすための手がかりを探した。
誰かが困っていると、設計書と仕事の流れを横で見る。
どこで詰まっているのかを一緒に探す。そうするうちに、周囲から相談が集まるようになった。
大きな転機になったのは、立体自動倉庫の仕事だった。
土地を横に広げられないなら高さを使う。荷物をどこに入れ、いつ取り出し、誰が確認するのか。その流れをコンピューターで管理する仕事である。
けれど画面の中で整っているからといって、現場がその通りに動くわけではない。
倉庫ではフォークリフトが走り、ベテランの作業員たちが目の前の出荷に追われている。そこへ若い技術者が行って「この通りにしてください」と言っても、受け入れられるはずがない。
坂本はそこで学んだ。
仕事は机の上だけではできていない。荷物を一度どこに置くのか。誰が見れば分かるのか。急ぎの出荷が入ったとき、どこで詰まるのか。
そこまで整えなければ、どれほど立派な仕組みでも現場では使われない。
現場の人たちと話し、必要な置き場所をつくり、作業の流れを少しずつ変えていく。
最初は反発していた人たちが、やがて野球観戦に連れていってくれたり、飲みに誘ってくれたりするようになった。残業が減り「坂本さんのおかげや」と言われることもあった。
この経験は後の経営にもつながっていく。
人がしている仕事をただ機械に置き換えるだけでは何も変わらない。大事なのは、現場の呼吸を見て、働く人が動ける形に整えることだった。
第三章ブレインサービス
その後、坂本はブレインサービスという会社の設立に関わる。
先輩たちと立ち上げた会社で、役職は取締役システム部長。肩書きだけを見れば立派だが、実態は少人数で何でもやる会社だった。
それでも坂本にとって、この時期は大きかった。
企業の仕事の流れを見て、どこを変えればよくなるのかを考える。若い社員に一から教える。お客さまから相談され、難しい課題を解いていく。
本人は「プログラムを組むことぐらいは、正直、楽勝やなと思ってた」と話す。けれど、そこで求められていたのは単なる作業者ではなかった。
人がやっている仕事をそのままコンピューターに置き換えるのではなく、いまの流れのどこに無理があるのかを見つけ、仕事そのものを組み替える。
坂本はその仕事に手応えを感じていた。
毎朝、「今日はどんな難問が来るのか」と、クイズを解くようなワクワク感を抱いて家を出る。
相談されることが嬉しい。自分の考えた仕組みで現場が動く。若い人を教える。会社も少しずつ形になっていく。
加治屋自動車へ入る前の坂本は、決して行き場を失っていた人ではなかった。
むしろ逆で、仕事は楽しく、やりがいを感じていた。続けていくつもりもあった。だからこそ、その後の決断は簡単に決められるものではなかった。
第四章喫茶店
加治屋自動車との接点は、社会人になる前から始まっていた。
専門学校時代、坂本は喫茶店でアルバイトをしていた。
そこで現在の妻と出会う。妻は加治屋自動車の創業家の娘だった。
最初から特別な関係だったわけではない。店の仕事を覚え、同じ時間に働くうちに少しずつ言葉を交わすようになった。やがて二人は付き合うようになる。
その先にいたのが、加治屋健一氏だった。
坂本から見れば、恋人の父であり、地元で会社を営む強烈な人物である。
初めて近くで見た時の印象を、坂本は「すっげえ人やな」と語っている。
先代は、気性の荒い人だった。言い方も強い。気に入らなければ容赦なく怒る。
だが同時に、人を引きつける力があった。
空港の仕事を始める時も、前例のない話に飛び込み、周囲を巻き込みながら形にしていった。
坂本は学生時代、加治屋自動車の空港現場で航空機の外側を洗うアルバイトも経験している。
制限区域に入るための講習を受け、試験を受け、空港内の決まりも覚えた。
就職前の短い期間ではあったが、加治屋自動車という会社の厳しさと、先代の存在感を体で知る時間だった。
ただし、その時点で将来この会社に入ると決めていたわけではない。
坂本はコンピューターの世界へ進み、そこで自分の道を見つけていく。
加治屋自動車は近くにありながら、まだ自分の会社ではなかった。
第五章加治屋健一
それから年月が経ち、坂本はブレインサービスで仕事に打ち込んでいた。
会社の設立メンバーとして働き、システムの仕事にやりがいを感じていた頃である。
一方で、加治屋自動車は難しい局面を迎えていた。
先代が将来を任せようと考えていた人物がいた。
空港関係の中で顔も広く、仕事を広げる力もあったという。
だが、会社の売上やお金の流れ、仕事の管理に大きな問題が生じていく。台帳は整わず、集金も曖昧になり、現場社員や取引先からも不信感が募っていた。
先代は坂本に声をかけはじめる。
最初は誘いというより、囲い込みに近かったのかもしれない。
週に一度は家に来るように言われる。食事をし、酒を飲み、最後は決まって「加治屋に来てくれ」という話になる。
月1回ほどのペースでゴルフにも連れていかれた。地元の経営者や地域の人たちが集まる場に、まだ若い坂本を連れていく。
楽しいだけの時間ではない。むしろ緊張の連続だった。
ゴルフで言い訳をすれば叱られる。人との話し方を間違えれば叱られる。先代の前では、甘い言葉も逃げ口上も通用しなかった。
それでも先代は、ただ怖い人ではなかった。
仕事で困っている人がいれば助ける。付き合いのある人を大切にする。社員への支払いを何より気にする。相手が困っている時に、こちらの損得だけで動かない。
荒っぽさと人情が同居していた。その矛盾のようなものが、人を引きつけていた。坂本もまた、その圧に押されながら、加治屋健一という人を見ていた。

後に坂本は何度も先代と衝突することになる。できない理由を口にすれば怒鳴られる。段取りが甘ければ叱られる。助けてもらえると思ってしたことが、逆に怒られることもあった。けれどその厳しさの奥には、会社を一人で背負ってきた人間の孤独があった。
先代はある時、坂本にこう漏らしたという。
「わしは一人でやってきた」
自分には相談する相手も、甘えられる相手もいなかった。そういう意味だったのだろう。だが坂本が苦しさを口にした時、先代は慰めなかった。
「お前には譲ちゃんがおるやないか。甘えるな」
譲ちゃんとは、南譲二 専務取締役(当時)のことである。
加治屋家との血縁者ではない。
親戚の縁から送迎グループの創業期に加わり、2022年まで加治屋自動車の専務として会社を支えた。
現在もシニア社員として、送迎の現場や整備部の車検車両の回送を担っている。
先代は、南氏の存在の大きさを分かっていたのだと思う。
坂本には、相談できる人がいた。無理をするか、踏みとどまるか。引き受けるか、断るか。その判断を一緒に考えてくれる人がいた。
「一人で背負っていると思うな」
先代の言葉は、そういう叱咤にも聞こえる。
坂本は加治屋健一の厳しさに揉まれながら、同時に、南氏のように隣で支えてくれる人の重さも知っていった。
第六章バンジージャンプ
加治屋自動車へ行くと決めた時、妻は喜ばなかった。
「私は嫌やで。私はサラリーマンの嫁さんでいい」
坂本はそう振り返る。妻にとっても加治屋自動車は、ただ懐かしい実家の会社ではなかった。
幼い頃から見てきた父の厳しさがあり、会社の大変さがあり、簡単に戻りたい場所ではなかった。
坂本自身にも迷いがあった。
整備士として育ったわけではない。自動車は好きでも、それだけで仕事ができるわけではない。まして加治屋自動車は、妻の父がつくった会社である。
義理の息子として入れば、周囲からどう見られるかも分かっていた。
その時の気持ちが「バンジージャンプ」だった。
飛び込む先がはっきり見えているわけではない。自分にできる保証もない。
ブレインサービスでは苦渋の判断もあり、自分が身を引くことで若い人を残せるのではないかという思いもあった。
それでも、最後に背中を押したのは理屈だけではなかった。
加治屋健一という人に引っ張られたのだと思う。
強く、面倒で、放っておけない人だった。
坂本にとって加治屋自動車に入るとは、単に職場を変えることではなかった。
自分の仕事人生で積み上げてきたものを一度脇に置き、義父が背負ってきた会社の中へ身を投げることだった。
第七章紙の会社
加治屋自動車に入って最初に向き合ったのは、整備の技術だけではない。会社そのものの流れだった。
台帳は紙。請求書も手書き。いつまでたっても請求が出ない。給与計算にも不信が残っていた。空港で働く人たちの中には、会社に疑心暗鬼になっている人もいた。
坂本は整備士ではない。だが、仕事の流れをほどくことはできた。前職で身につけた力がここで生きる。
修理の履歴を残す。請求までの流れを見える形にする。給与や控除計算システムを構築する。誰かの勘や記憶に頼っていた仕事を、誰が見ても分かる形に変えていく。
それは、加治屋自動車をコンピューター会社に変える作業ではなかった。
むしろ逆である。職人の経験や現場の判断を消すのではなく、きちんと残して次に使えるようにする作業だった。
最初から信頼されたわけではない。むしろ疑われるところから始まった。
だが半年、一年と続けるうちに、現場の人が給与明細を見ながらこう言うようになった。
「坂本さんなら、間違いないから」
信頼は、言葉だけで構築されるものではない。
正しい仕組みを構築する。約束したことを守る。必要なものを見える形にする。
坂本が加治屋自動車で最初に築いた信頼は、そういう地味な仕事の積み重ねだった。
第八章飛行機のそばで
入社して間もない頃、坂本は昼間に整備、夜に空港現場の管理を担った。
航空機の外側を洗う仕事は、外から見えるほど単純ではない。
どの面を、どの角度で、どの順番で洗うか。水のかけ方一つで仕上がりも安全も変わる。
最初は人の管理にも苦労した。来ない。態度が悪い。言うことを聞かない。
だが続けていくうちに、現場には現場の誇りがあることも分かってきた。
坂本は航空機の図を印刷し、作業範囲を番号で分け、くじ引きで担当を決める仕組みを作った。不公平感をなくすためだった。
するとある日、現場の人たちが集まって提案してきた。
「八番より、九番の作業の方が忙しいと思うんです。だから九番のこの役割は八番に振ったら、より効率的になると思います」
時給で働く人たちが、自分たちの作業をより良くしようと考えている。そのことに坂本は驚いた。提案を受け入れ、やってみる。うまくいけば手順を書き換える。すると現場の人たちは、誰かに言われて動くのではなく、自分たちの仕事として責任を持つようになっていった。
坂本が作ったのは単なる管理表ではなかった。自分の作業に責任と誇りが宿る入口だった。

その現場を、坂本一人で回してきたわけではない。
空港部の立ち上がりから、空港の現場を牽引し続けた南さんがいた。
派手に前へ出る人ではない。けれど、現場の流れも、人の癖も、会社の苦しい時期も知っている。
坂本が何かを判断する時、南さんの一言は重かった。「もう少し考えましょう」と言われれば一度立ち止まる。「これは思い切った方がいいかもしれん」と言われれば、損をするかもしれないと思っても前へ出る。
そうやって、二人で空港の現場を守ってきた。
加治屋自動車の歴史は、創業者の強さだけで続いたものではない。その強さに引っ張られた坂本がいて、その横で支え続けた人がいる。
取材の終盤、改めて南氏とはどんな存在かを問うと、坂本は波乱の日々を噛みしめるように、ゆっくりと答えた。
「南さんが居なかったら、俺はここまでやってこられなかったと思う。一人ならきっとどこかで俺はダメになっていた」

第九章約束
坂本の話には、何度も先代である加治屋健一の姿が出てくる。
厳しい人だった。言動も激しかった。だが仕事の芯はぶれなかった。
「俺は関係ない、というやつはいらん。何かあったら助けたるわ、という人間でないとあかん」
先代が大事にしていたのは、仕事の金額ではなく約束だった。
坂本が今も忘れられない場面がある。
一般顧客の数千円の修理と、空港関係の大きな仕事が重なった。
経営だけを考えればどちらを優先するかは明らかに見える。
だが先代は、数千円の修理を後回しにすることを許さなかった。
「この一般の人、約束したんとちゃうんか。昼までにやるって言うたんやろ」
金額の大小で約束を並べ替えるな。坂本はその時にそう教えられた。
別の場面もある。ある時、空港で天災により大きな被害が出た。
設備の復旧に人手が必要になり、加治屋自動車の工場長たちは現場に駆けつけた。時間も手間もかかったが復旧にこぎつけた。
後日、先方から「費用を請求してください」と言われた。
坂本がその話を先代に伝えると、即座にこう返された。
「請求するなよ。被災、災害の時は、お互いさんや」
人も動いた。時間もかかった。当然簡単な仕事ではなかった。
請求したい気持ちはある。
それでも相手が困っているところにつけ込むようなことはするな、というのが先代の考えであり、今でも坂本が受け継ぎ、大事にする加治屋自動車の芯である。
第十章社長
2000年、坂本社長は代表取締役に就任した。
会社を継ぐ時、どんな会社にしたいと思っていたのか。そう聞かれると、坂本社長ははっきり答えた。
「いや、ないですよ。もともとはお断りしていました」
そこに壮大なビジョンはなかった。今のように空港の仕事を拡大することも考えていなかった。自動車整備だけで人を抱えていく難しさもあった。車両販売や保険に広げる道もあったが、自分には違うと感じていた。
だからこそ坂本社長は、まず整備の仕事を安定させようとした。
リース車両のメンテナンスのように、あらかじめ予定を組める仕事を増やす。
修理履歴を残し、次の整備に活かす。紙に頼りきりだった現場を少しずつ見える形に変えていく。
大きく変えることばかりが経営ではない。坂本社長は守ることにも時間をかけてきた。
「世の中で恥ずかしいようなことが起こる会社にはしたくない。技術の加治屋って言われたぐらいだから、そこは負けたくない」
社長になってから、派手な勝負を重ねてきたわけではない。
うまい話が来ても簡単には乗らない。社員に給料を払い、支払いを滞らせず、目の前の仕事を確実に積み上げる。
外から見れば地味に映るかもしれない。だが会社を六十年以上続けていくうえで、これほど強い基礎はない。
第十一章信頼
加治屋自動車にとって信頼とは何か。
坂本社長にそう尋ねると、すぐには答えを決めなかった。
「信頼ってなんやろうね」
それは用意された答えではなかった。長く現場と向き合い、人に頼られ、ときに頭を下げてきた経営者が、自分の中にあるものを確かめるような声だった。
「”これだけのことをやってやったぞ”で、ではないと思うんです。困ってはるから、うちに言うてきはるんで」
自動車整備でも、航空機を地上で支える空港の仕事でも、加治屋自動車に届く声の多くは「困った」から始まる。
車が動かない。機材の手配が迫る。人が足りない。予定していた段取りでは現場が回らない。
そのたび加治屋自動車は何とかしてきた。損得勘定だけで動いたわけではない。
目の前に困っている人がいた。その声を放っておかなかった。
坂本社長にとっての信頼は、自分たちの評価を自分たちで語ることではない。現場の人が責任を持って作業すること。
お客さまに「うちであかんかったら、他でも難しい」と胸を張れること。
そして「加治屋に任せたら間違いない」と言われること。
その一点を守り続けることが経営だった。

第十二章次の足場
坂本社長には、ずっと抱いてきた思いがある。
それは、任された仕事に応えるだけで終わってはいけない。
空港の仕事も、整備の仕事も、加治屋自動車を支えてきた大切な柱である。
その柱を軽く見るつもりはない。
むしろ、その仕事に応え続けてきたからこそ、会社はここまで続いてきた。
ただ、坂本社長はそこに甘えたくなかった。
整備の技術を磨く。現場の品質を守る。人が育つ仕組みをつくる。
そして、既存のもの以外にも、自分たちで価値をつくれる場所を広げていく。
だから坂本社長は次の世代に、ただ同じ形を継いでほしいとは考えていない。
むしろ、自分にはできなかった新しい形をつくってほしいと思っている。
先代からこう言われたことがある。
「加治屋自動車の基盤を作って、お前が何かやったらええんや」
坂本社長はその言葉を今、次の世代へ渡そうとしている。
加治屋自動車の中で育ってきた次の世代が、それぞれの武器で新たな道を切り拓こうとしている。
その動きを坂本社長は、自分と同じやり方ではないものとして見ている。
継承とは、同じ形を守り続けることではない。残すものを決めたうえで、変える勇気を持つこと、と語った。
そして残すべきものは、はっきりしている、と。
「加治屋さんに任せたらできると思ったのに残念や、って言われるのだけは嫌ですね」
終章仕事を好きになる
これから家業を継ぐ人、経営に悩む人に何を伝えたいか。
最後にそう聞くと、坂本社長は少し考え、先代から言われた言葉を挙げた。
「仕事は好きであってほしい。好きになってほしい」
最初から好きでなくてもいい。
坂本社長自身、コンピューターの学校では劣等生だった。
加治屋自動車に入る時も自信があったわけではない。整備も、空港の現場も、分からないことだらけだった。社長になってからも、何のためにやっているのか分からなくなる瞬間があったという。
それでも、人は見ている。
仕事ぶりも、困った時の姿勢も、約束の守り方も。
若い頃に連れていかれたゴルフの場で出会った人が、後に仕事で助けてくれることがあった。厳しかった空港関係者が、窮地で手を差し伸べてくれたこともあった。現場の社員が、自分ごととして改善案を持ってくることもあった。
だから坂本社長は社員にもこう願う。
加治屋自動車のためだけではなく、自分自身のために恥ずかしくない仕事をしてほしい。楽しむ時は楽しみながらも、仕事の線引きだけは誤らないでほしい。
成功者になれるかどうかは分からない。でも悪いことばかりではない。
「こんな社長でも、振り返ってみると楽しくしゃべれる時が来る。人はやっぱり見てくれてる」
大きな夢を語るより、目の前の人を裏切らないこと。
派手な成長より、困った時に頼られる会社であり続けること。
加治屋自動車が残してきたものは、特別な言葉ではない。
困ったら、加治屋さんに。
この言葉が次の世代にも自然に出てくる会社であるために、何を守り、何を変えるのか。坂本社長の歩みは、その問いを次の世代へ手渡している。

加治屋自動車の採用サイト(空港部)
https://kajiya-ms.co.jp/kms/
この会社が大切にしていること
・困っている人を放っておかないこと。
・金額の大小ではなく、約束を守ること。
・現場の仕事に責任と誇りを宿らせること。
・「技術の加治屋」と言われてきた品質を軽く扱わないこと。
・人に支えられてきた会社の記憶を、次の世代へ渡すこと。
・取引先との関係を大切にしながら、自分たちで選ばれる理由を増やしていくこと。
こんな人と働きたい
・自分の担当だけで線を引かず、困っている人に手を貸せる人。
・現場の小さな違和感を、自分の言葉で提案できる人。
・技術、安全、品質を軽く扱わず、地味な確認を積み重ねられる人。
・最初から得意でなくても、目の前の仕事を好きになろうとする人。
・加治屋自動車の名前で仕事をする意味を、自分の責任として受け止められる人。
取材・文:志ノオト編集部 / 株式会社WillGear


