チャンスは平等に
通っている

株式会社ブレインサービス

代表取締役桑原 昌次

株式会社ブレインサービス 代表取締役 桑原 昌次

序章

「工場、どこにあるんですか」

20歳の桑原昌次がそう尋ねたのは、入社して初めて職場に出た日だった。

求人票には「エンジニア」とある。機械を扱う仕事だろうと思い込んだまま、面接を受け、採用され、出社した。ところが、いくら見回しても、工場がない。

「そんなんないよ。君は何しに来たんや?」

あったのは、紙にプログラムを書く仕事。

コンピューターという言葉さえ、まだ珍しい時代である。

それから40年あまり。

彼が二代目を継いだ株式会社ブレインサービスは、介護・福祉の自治体向けシステムで、大阪府下トップシェアを握る。

勘違いから始まった青年が、なぜ、ここまで来たのか。

第1章社員食堂のカード

勘違いから始まったブレインサービスとの出会いではあるが、桑原はその仕事の魅力に魅かれていた。

「やってみたら、面白かったんですよ。プログラム、これ面白いなと、すごい熱中してね」

熱中のあまり、冬の夜、紙を前にしたまま石油ストーブをつけて眠り込む。

「ストーブから紙に燃え移っちゃって、ワンルームマンションが燃えたんですよ。消防車が十何台も来てね」

焼け出された先は、西成の安宿。一泊数百円、一畳ほどの、風呂もない部屋だった。

当時、仕事のほとんどは出向だった。大手メーカーの現場に席を借り、そこの人間として働く。同い年の仲間と切磋琢磨し、仕事外でも遊んだ。

だが、社員食堂で、ふと立ち止まる。

「向こうは社員証でピッと買うでしょう。こっちは社員じゃないから、現金で払うんです。社員だけの何かって、あるんですよ」

カードをかざせば食事ができる社員と、現金を払う自分。ささいな差が、胸に残った。

「あ、やっぱり、社員とは違うんやな、と。あれは寂しかったですね」

この寂しさが、彼の背骨になった。

「自分も仲間も、寂しい思いはさせたくない。自分達の仕事を作ろう」

人を出向させれば、その給料分がそのまま売上になる。営業もいらず、勘定はしやすい。それでも、彼は腹を決めた。

「自分とこの仕事がしたいじゃないですか、誰だって」

ブラインドを背にした事務所で、ワイシャツにネクタイ姿の男性3人が並ぶ。机にブラウン管のコンピューターが置かれている
入社2年目(1987年)の写真(右上が桑原氏)

第2章ホワイトボードの数字

自分の仕事をつくる。その最初の鉱脈を、桑原は新聞の片隅に見つけた。

介護保険が始まる前夜、国が掲げた「ゴールドプラン」。

デイサービスやホームヘルプの拠点を、当時の100倍に増やすという計画だった。

「これ見て、こんなに増えるんやったら、システム作ったら売れるんじゃないか」

製品は、まだない。あるのは、出向先の大手企業でできた人脈だけだった。

「大手の看板で、こんな製品があるってDMを送ってくれへんか」

実は売り込んだ時は完成済みのソフトはまだなかった。

それでも製品品質は自信があった。それに大手の冠がつけば信用もついてくる。

狙いは当たった。少しずつ、自社開発の商品が売れはじめた。

ところが、会社そのものが沈みかけていた。

赤字が少しずつ積み上がっており、積もって約1億円。

社会保険料を払うのも苦しくなり、当時の役所にはこう言われた。

「お前のとこ、倒産したことにしろ」

そこへ、バブルが弾ける。

出向先から社員が全員戻され、やらせる仕事はない。

「社長を入れて、四人しか残らんかった」

金がない。桑原はホワイトボードに、一日きざみの資金繰り表を書いた。

今日いくら入り、今日いくら出るのか。

そのマス目だけが、明日をつないでいた。

第3章一億円の注文書

転機は、2000年。介護保険制度が始まった。

まだインターネットも普及していない時代、桑原がそれを知ったのは、一本の電話だった。

「実はお客さんから、”介護保険が始まるけど対応するの?”と言われて。あ、そうなんですか、と(笑)」

公的な制度が動く——直感した桑原は、すぐに開発に取り掛かった。

しかしどれだけ良いソフトが出来たところで知ってもらえなければ意味がない。

だが自社で営業マンを雇っている時間も金もない。

躊躇することもなく、桑原は大阪の大手販売会社に飛び込み、開発するソフトの販売を頼み込んだ。

当時のブレインサービスは名も知れぬ小さなソフト会社。

それでも彼は、大阪の敏腕営業マンと旧来からの友人のように親しくなり、その男が東京本社へ話をつないだ。

本社は、全国での採用を決めた。

2000年4月、介護保険スタート。そして——

「2000年の五月。つまり介護保険のスタートから1か月で累積赤字、全部消しましたね」

1億円が、ひと月で消えた。

だが、一筋縄でいったわけではない。栄光の裏で、桑原達は極限にいた。

そもそも、殺到する注文をさばくには人手がいる。

派遣会社に頼めば、「あんた、金ないやろ」と門前払い。

そこで桑原は言った

「そしたら先払いするから、それなら良いやろ」

しかし当時のブレインサービスの岡社長から「どこにそんなお金あるんや?」と聞かれた。

「社長、この1億円の注文書があるじゃないですか。これを銀行に持って行ったらいけますよ」

桑原の狙い通り、1億円の注文書を信用に、銀行から資金を得て、約20名の派遣スタッフを迎えることに成功した。

それでも、作るのが間に合わない。

他社であれば100人体制で挑む大仕事を、たった四人、派遣スタッフを含めても20名そこそこで受けてしまったのだ。

桑原は、家に帰らなくなった。いや帰れない。三か月の泊まり込み。

「徹夜とかそんなもんちゃいましたね。丸三日。そこまでいくといつのまにか意識が飛んで、使いものにならんですよ」

半年後、ようやく落ち着いたころ、桑原は口の中の異変に気づく。

「歯がスカスカで。ストレスか栄養不足か分かりませんが、三本なかったですよ」

途中で抜けたことにも、気づかなかった。1億円の赤字をそのバイタリティとスピード感で完済した代償。それは三本の歯だった。

実際は想像を絶するプレッシャー、そして体力も文字通り極限だったはずだ。

しかしこの体験を語る桑原からは、辛い記憶というより、どこか楽しそうに当時を語る姿が、取材者の印象に残った。

椅子に腰かけ、こちらを見て笑う桑原社長

第4章水戸黄門

これでブレインサービスは軌道に乗り、安泰で今日まで来たのか。

もちろんそうではなかった。

製品を販売してくれた大手販売会社は、やがて別の会社の製品へと、静かに載せ替えていく。

最大で1000を超えていたシステム利用者(顧客)が、最終的には100を切った。

2006年、地域包括支援センターという新しい市場が生まれる。

桑原は再びこれをチャンスとみた。構造的に大手メーカーがやりたがる市場ではないと。そして最初に営業をかけたのは、なんと大阪市だった。

「当時、大阪市の外郭団体に出入りしていた。その団体からの推薦がもらえたこともあり、大阪市で契約を取れた」

桑原が大阪市を最初に契約したのはもちろん偶然ではない。

「大阪府の他の自治体からみると”大阪市がやってるなら間違いないな”となる。自治体営業に最低限必要な信頼を得ることができた」

しかし、顧客は自治体だ。信頼があるからすぐ導入というわけにはいかない。

まずは担当者と直接会う。そこから詳細な説明を行って信頼の構築。

公平性も必要となるため、プロポーザルが行われ、ようやく受注となる。

※プロポーザル:官公庁や企業が事業の委託先を選ぶために、複数の候補者から具体的な企画や提案(Proposal)を募り、最も優れた提案内容を選定する方式(企画競争入札)。安さだけで決まる通常の入札とは異なり、技術力や独創的なアイデア、過去の実績などを総合的に評価して決定される。

これはとても一人で営業していたのでは追いつかない。

そう考えた桑原は、大阪府で地場の営業会社(以下A社)に人脈があった。その人物を通してこう掛け合った。

「A社から、うち(ブレインサービス)に営業マンを出向させてくれ」

当然先方は驚くが、自治体を相手に行う事業内容に納得し、なんとトップレベルの成績を誇る営業社員を6名もブレインサービスに出向させた。

「A社からしたら、ソフト売るだけならそんなに魅力はない。けど、一度顧客と深い接点を持てれば、A社の本業であるOA機器の販売もできる。ブレインサービスにとってもA社にとってもWin-Winだと力説しましたね」

当時のA社社長は、桑原の熱意と構想に惚れ込んだ。

社長が直々に推薦した6名の精鋭営業マン。その出向にかかる費用は、業界の常識を覆す、異例中の異例である「タダ(無料)」だった。

実際にその営業マン達は、ブレインサービスのソフトを自治体にしっかりと販売し、そして自社のOA機器もしっかりと販売に繋げる。まさに桑原の構想通り、Win-Winとなった。

A社自身もこの取り組みから、一気に業績を伸ばし、200名弱の社員を抱える企業となっている。

この大阪市での成功を起点に、桑原の自治体営業はさらに独自の戦略へと進化していく。

それが「都市の連鎖」の法則だ。

「大阪府下の市がシステムを選ぶとき、まず大阪市が何を使っているかを見るんです。そして次に気にするのは、自分たちの周りの自治体なんですよね」

では、九州の福岡市がシステムを導入するときはどこを見るのか。

隣の市ではなく、離れていても「全国の政令指定都市」どうしで見合っていることに桑原は気づいた。

ターゲットを全国に20しかない政令指定都市に絞り込んだ。何年も根気強く通い、システムの入れ替えタイミングを狙って京都、堺、神戸、岡山、広島と、一市一市と確実に信頼を積み重ね、導入へと繋げていく。

気づけば、20市のうち7市で採用され、トップシェアを不動のものにしていた。

そして2010年代中盤、桑原は正式に二代目社長に就任する。

しかし、トップの肩書を手にしてなお、彼の泥臭い現場主義は変わらなかった。

アポも取らずに全国の市役所へ自ら飛び込む中、直面したのが「名刺」の問題である。

「社長の名刺が、出しにくいんですよ。飛び込みで現れた男がいきなり社長を名乗ったら、『社長が飛び込み営業やってんの?』って相手が身構えてしまうでしょう」

だから桑原は、あえて「営業部の平社員」の名刺を刷り、それを握って回った。

大阪のとある市役所でも、そうやって飛び込んだ。

担当者と仲良くなり、システムを気に入ってもらい、いざ契約書を交わす段階にこぎつける。

向こうは市長の名前。こちらは社長の名前。

契約書の署名欄で初めて「代表取締役 桑原昌次」の名を目にした相手は、目を丸くした。

「まるで水戸黄門やな、と。『営業担当と思ったら、最後に正体を明かすのか』」

相手はそう言って笑った。

実績が積み上がったいまは、平社員の名刺は作っていない。

「社長が営業やって、何が悪いねんって思うようになりました」

ちょっと開き直った感じが出た、と桑原は笑う。

勘違いで入社し、出向先で社員証を持てなかった青年は、自分の名刺を堂々と出せる社長になっていた。

終章看板を壊せ

トップシェアを取ったいま、桑原の目は、業界そのものの歪みに向いている。

自治体向けのソフトは、一本で4,000万、5,000万円。大きなものは1億円を超える。大手メーカーは5年ごとにリース契約を切り替え、同じ自治体に同じものを売り直すのが当たり前になっていた。

「それぞれのソフトに本当に何千万の値打ちがあるのかな。それが僕の本音なんですよ」

なぜ、同じものの買い直しが起きるのか。

「データがあるからですよ。データを吐き出さないメーカーも多い。入れ替えられるのが嫌でね」

溜まったデータの移し替えが難しいため、自治体は大手メーカーの言いなりになる部分もある。

中間マージンも余分な階層も持たないブレインサービスなら、適正な価格で、もっと現場に深く届けられるはずだ。

「ほんまはこんなんでできるんやで、と知ってもらいたい」

桑原は、業界のからくりそのものをひっくり返そうとしている。

構想は、システムの外側にも及ぶ。

例えば介護予防の現場では、畑仕事を手伝いたいという高齢者がいる。

しかし、大阪市内に畑は少なく、その需要を満たせないことも多い。

「隣の市に行けば、たくさんあるんですよ」

市町村の垣根が、人と場所を分けている。その垣根を取り払い、畑仕事をしたい高齢者と人手の足りない畑を、市の境を越えてつなぐ。近隣の市町村をまとめ上げ、一つの市だけではできなかった新しいサービスを生み出す。

かつて勘違いでソフトウェア開発の世界に来た桑原は、いま、行政の地図に引かれた境界線の外側を見ている。

その桑原に、次の世代へ何を遺したいかと問うと、答えは意外だった。

「いや、何も望んでないですね。また自分で一からやったらいい、って」

自分のやってきたことを守ってくれ、とは言わない。

むしろ、逆だ。

「土台にするのはいい。でも、残そうとするな。時代は変わるんやから。いつまでも同じことをするべきじゃないよ、って」。

苦労して築き上げたサービスや技術に固執しないのかと問われると、表情を崩さずに言った。

「それは多分、不幸になるよ。いつか手かせ足かせになってまうからね」

極論、世の中には役に立つもの、求められるものしか残らない。

いまある製品を潰してでも、次の時代に必要なものを自分でつくればいい。

その哲学は、20歳で工場を探した青年が、出向先の社員食堂で抱いた思いと、まったく同じ形をしていた。誰かの看板をいつまでも借り続けない。自分の仕事を、自分でつくる。

彼の人生の分岐点は、いつも仕事の外側から始まっていた。

「仕事中はやっぱり、目の前の仕事に一生懸命になるじゃないですか」

出向先の大手企業で出会った仲間たち。友人、取引先など様々なコミュニティとの食事の場。 趣味のテニスや、一緒に遊んで仲良くなった人たちとの会話。

そんなところから、次のチャンスの種を拾った。

「極論ですが、人の十倍やる人間には、チャンスが通ったとき、それがチャンスやと分かる。人並みにしかやってない人間には、分からないと思うんです。きっと、チャンスはみんな平等に通ってると思うんです」

チャンスは、選ばれた者にだけ訪れる特別なものではない。

誰の人生にも、平等に通り過ぎている。

違いはただ一つ、それをチャンスだと気づけるかどうか。

そして気づけるのは、日常からアンテナを張り、人より動いた者だけなのかもしれない。

ガラス張りのエントランスを背に立つ桑原社長

桑原の目は、もう先を見ている。市の境を越えた畑に、まだ誰も気づいていない、次のチャンスを。

株式会社ブレインサービスのホームページ →

この会社が大切にしていること

製品そのものの本質的な価値で選ばれること

営業の力で一時的に売るのではなく、本当に役に立つものだけを届ける。求められないものは、いずれ淘汰されるという覚悟を持つ。

業界の「当たり前」を疑い、適正を追求すること

中間マージンも余分なコストを持たない。本当に使いやすいシステムを適正な価格で届ける。

築いた実績に固執せず、変化し続けること

過去の成功を土台にはしても、守ろうとはしない。時代が変われば必要なものも変わるという真理を受け入れる。

こんな人と働きたい

決められた枠の中で言われたことだけをこなすより、「自分のアイデアを持ち込み、自分のやり方で動いてみたい」という熱量を持った人。答えのない場所へ、自分の足で踏み込める人。

「チャンスは誰の前にも平等に通っている」――その瞬間に気づけるくらい、仕事の外側にまでアンテナを広げられる人と、次の一歩を、一緒に走りたいと考えている。

取材・文:志ノオト編集部 / 株式会社WillGear

取材日:2026年6月

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